法人沿革
1.財団の設立契機
日本ヘレンケラー財団は、昭和23年8月のヘレンケラー女史の来日(毎日新聞社招聘)を記念して設立された社会福祉法人である。ヘレンケラー女史は昭和12年にも四ヵ月間滞在していたが、日華事変の勃発で急いで帰国したこともあって、戦後の再来日は日本全国民の大歓迎を受けることになった。ヘレンケラー女史の目的は、①視覚に障がいをもった方への更生計画、②視覚障がい児の教育、③失明の防止、④彼らに対する誤った迷信の除去等の運動を促進することであった。当時のGHQや日本政府でも、Ⅰ戦争の犠牲者に光明を与える、Ⅱ絶望のどん底にある日本国民に勇気を与える、Ⅲデモクラシーとはいかなるものかを具体的に示していく――として、毎日新聞社の提唱した『ヘレンケラーキャンペーン』を支援し、疲弊した日本人の心に希望を与え、恵まれない人々に対する愛の運動が展開されたのである。その結果、全国から約三千万円の浄財が集まり、大阪と東京に身体障がい者の福祉事業を行うための記念財団(ヘレンケラー財団)が設立される契機となっている。なお、女史は各地での講演会等で深くて強い人類愛を説き続け、わが国の身体障害者福祉法(昭和24年12月)の制定促進にも大きな影響を及ぼしている。
2.ヘレンケラー・キャンペーン委員会組織
毎日新聞社は、ヘレンケラー女史の滞在中に「ヘレンケラー精神」を啓蒙し、基金を公募することを目的として、広い組織の委員会を結成している。顧問には当時の内閣総理大臣、衆・参両院議長、文部・厚生・労働の各大臣、GHQ公衆衛生福祉局長ら8氏を迎え、委員として各界代表の40氏が委嘱されている。
3.財団の設立
西日本28府県から寄せられた浄財と、ヘレンケラー・キャンペーン委員会がバザー等で得た収益をもとに当財団は昭和25年5月29日に設立された。当初は、「財団法人西日本ヘレンケラー財団」として認可されている。
4.設立後の主な事業
国民の多くの善意をもって設立された財団の主な事業は、障がい者福祉のために行われる各地の大会や行事に助成金を支出することであった。
(ア)視覚障がい者の開眼検診
毎日新聞大阪社会事業団(現公益財団法人毎日新聞大阪社会事業団)主催の開眼検診事業に協力。終戦直後の医療の不十分な時代において大阪大学医学部、大阪医科大学等で目を患う数千人を無料検診し、その一割が視力回復可能となり多くの希望を与えた。
毎日新聞大阪社会事業団(現公益財団法人毎日新聞大阪社会事業団)主催の開眼検診事業に協力。終戦直後の医療の不十分な時代において大阪大学医学部、大阪医科大学等で目を患う数千人を無料検診し、その一割が視力回復可能となり多くの希望を与えた。
(イ)身体障がいの大学生に対し奨学金を贈呈
全国の身体障がい者の大学進学を助けるため、毎年20名に奨学金を贈呈。その約半数は視覚障がい者であった。
全国の身体障がい者の大学進学を助けるため、毎年20名に奨学金を贈呈。その約半数は視覚障がい者であった。
(ウ)小児麻痺子供の母の会の相談・療育事業
終戦後全国的に猛威をふるった小児麻痺(脳性麻痺)の子供の療育指導と、その母親を助ける教室を開講した。大阪市立大学医学部整形外科教授・水野祥太郎博士の創意により、会員は京阪神地区で千人にのぼり、毎月2回の定例教室のほか、毎年数回の夏季キャンプ、クリスマス家族会などの療育レクリェーションも実施した。これらの活動は後に、肢体不自由児の支援団体のモデルにもなって受け継がれている。
終戦後全国的に猛威をふるった小児麻痺(脳性麻痺)の子供の療育指導と、その母親を助ける教室を開講した。大阪市立大学医学部整形外科教授・水野祥太郎博士の創意により、会員は京阪神地区で千人にのぼり、毎月2回の定例教室のほか、毎年数回の夏季キャンプ、クリスマス家族会などの療育レクリェーションも実施した。これらの活動は後に、肢体不自由児の支援団体のモデルにもなって受け継がれている。
(エ)全国の視覚・聴覚支援学校の最優秀卒業生に対しヘレンケラー賞を贈呈毎年春、全国の視覚支援学校、聴覚支援学校を卒業する最優秀生徒男女各一名にヘレンケラー賞を授与。
(オ)大阪府下の児童施設に対するトラコーマ治療事業
トラコーマ治療主薬・オーレオマイシン軟膏と補助衛生材料を児童福祉施設に配布し、施設の嘱託医師による治療を求めた。後年、この事業には大阪府共同募金会の配分金が交付された。
トラコーマ治療主薬・オーレオマイシン軟膏と補助衛生材料を児童福祉施設に配布し、施設の嘱託医師による治療を求めた。後年、この事業には大阪府共同募金会の配分金が交付された。
(カ)ヘレンケラー女史の第三次来日(昭和30年5月27日~6月16日)
視覚障がい者福祉施設の慰問や京阪神地区でヘレンケラー女史の講演会を行った。特にヘレンケラー女史は日本ヘレンケラー財団「平和寮」を訪問され、23年度の来日の目的の一部が達成されたことに喜びを表明した。
視覚障がい者福祉施設の慰問や京阪神地区でヘレンケラー女史の講演会を行った。特にヘレンケラー女史は日本ヘレンケラー財団「平和寮」を訪問され、23年度の来日の目的の一部が達成されたことに喜びを表明した。
(キ)手話日常会話の手引書を出版
(ク)西日本各地の視覚・聴覚障がい者の方の全国大会やスポーツ大会等の助成 こうした事業は当時では類を見ない事業として注目され、その後に設立された障がい者福祉の各団体によって、その専門活動として生かされ、今日ではさらに充実・恒久化されている。あいまって我が国の福祉事業(身体障がい者福祉施設)の急速な発展と整備及び日本ヘレンケラー財団事業基金の枯渇により、やがてその先駆的活動を収束させるに至る。
5.社会福祉法人への組織変更
昭和27年5月27日付「財団法人」から「社会福祉法人」へ組織変更し
ている。昭和41年6月、名称を「日本ヘレンケラー財団」に変更し、大阪
市北区堂島1丁目6番20号毎日新聞大阪社会事業団内に置かれていた法人
本部を54年11月、大阪市阿倍野区昭和町3丁目4番27号に移転、現在
に至っている。
初代理事長
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杉 道助
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就任期間昭和25年5月~39年12月
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二代理事長
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國崎 裕
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就任期間昭和40年3月~54年11月
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三代理事長
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西野 源
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就任期間昭和54年11月~平成12年6月
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四代理事長
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山本 茂
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就任期間平成12年6月~20年7月
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現在理事長
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西川佳夫
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就任期間平成20年10月~現在
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